「復讐の呪殺」
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 世に、「『個人的復讐』に魔術や呪術を用いるのは不適切である」と言う意見も あるが、現実問題としては、「『呪術』なんぞと言う物は、『個人的都合』で行っ ている物でしかない」のであるから、例えば、「いじめ問題」に対抗するために呪 術を使うのも、特に悪いとは言えないであろう。要は、「自己責任原則」の問題で あるのだから、「呪術を使うに至った原因は己のカルマ。使った結果についても己 のカルマ」と割り切るのなら、「呪術で復讐」しても、別にどうと言う事はない。

 実際の「呪殺」に至るまでに、どうしても検討しておかねばならぬ注意点につい て述べておこう。

 まず第一に、「呪殺」と言っても、「『呪いが直接相手の肉体に作用する』ので はない」と言う事である。以前にも言ったが、「呪術」は「精神界の技術」である 事を忘れてはならない。「呪殺」とは、相手を物理的肉体的に葬るのではなく、精 神的に葬るのである。無論、「精神破壊」の結果として、「肉体も破壊される」事 はある。それは当然の事だが、あくまでも「結果」である事を忘れてはならない。

 第二に、「殺したい程憎い」と言う事は、それに至るだけの理由があった筈であ る。しかしこの場合、「自分の怨念の根元」まで遡って「理由」を考慮せねばなら ない。理由もなく「いじめ」の対象にされた、と言う場合でも、「自分に何の責任 もなかったかどうか」に関しては、厳しい吟味が必要となる。何故吟味が必要かと 言うと、「自分にも責任がある」場合、自分の「怨念」を充分に集積出来ない可能 性が高いし、また、「相手に理がある」場合等は、「呪いの効果が全くない」だけ でなく、「自分のカルマを汚すだけの結果に終わる」からだ。

 「相手に理がある場合、呪術は効かない」理由は、「相手側が『つけ込まれる隙』 を持っていない」からである。「全く傷のない皮膚に病原菌を付けても、まず身体 内部には侵入出来ない」のと同じで、「自分に『疚しい所が無い』のなら、呪術な んぞ恐るるに足らず」なのである。

 しかし、相手が本当に「呪い殺されるだけの理由」を持っているのなら、「『呪 殺』は可能」である。これは、「法律上の責任」や「社会的な責任」だけではなく、 純粋に「個人的な理由」であっても、「理由としては立派に成立する」のならば、 「正当な理由」となる。

 第三に、「呪術の世界は『自己責任』の世界であり、『カルマの法則』は厳然と 作用する」と言う事を認識し、「自分の生命をかけても相手を『呪殺』する」と言 えるだけの「覚悟」を持てるかどうか、が「『呪殺』の成否」を握っている。

 さて、肝心の「具体的な『呪殺』の方法」であるが、これについては敢えて語る 必要はなかろうと思う。何故なら、真にそのような方法が必要となる時が来たのな ら、「『具体的な方法』は自然に目前に現れる」からだ。それが「その人に最も合 った方法」なのである。

 「いざとなれば、自分の全てをかけて『呪殺』してやる」と言う「覚悟」を持つ 事は、非常に大きな「心の余裕」につながるものなのだ。このあたりを御理解戴け れば幸いである。